尼花日記

尼ヶ辻花子(あまがつじ・はなこ)のブログです。2DKのアパートに、片付け好きの再婚オットと二人暮らし。掃除、断捨離、シンプルライフ等について日記に綴ります。

人生を断捨離した海外移住とその後の現在とは?

物を捨てるのは、簡単なようで難しいですね。私の場合は、引っ越しをすることで断捨離ができましたが、その目的は、海外移住でした。

人生を断捨離するかのごとく海外移住を目指し、その後どうなったか、シェアしたいと思います。

↓ブログ村に参加しています。よかったら応援クリックをお願いします!

 

そのとき私は44歳でした。友人二人と年末に会ったとき、来年は、どうしたい?なんて話をしていたんです。

私は、軽い気持ちで、英語をもっと勉強したいかな、と話しました。

その頃、ラジオ講座やカフェレッスンなど、英語をなんとか話せるようになりたいとひそかに勉強していたんです。でも、思うように進まない・・・なんだかなあ、と思っていたんですね。だから、そのとき、ふっと口に出た、という感じでした。

友人たちに言われたこと

すると、そのときの友人二人ともが、口をそろえて、

「それなら現地へ行くしかないわよ!!」と強く言ったのです。

元・仕事仲間の二人でした。でも、それぞれ現況は異なっていました。

一人は私より年上のパート主婦(当時)、もう一人は年下で30代後半の新婚さん、赤ちゃんがお腹にできたときだったと思います。

年齢も、環境も、おそらく性格も異なる二人が、同時に同じことを言ったので、私はびっくりしてしまいました。

そして私が決めたこと

でも、確かにその通り、仰るとおりです。

さらに、よくよく考えてみると、当時の私を日本にしばるものは何もありませんでした。39歳でリコンした私に夫はいないし、子どももいない。親もおかげさまで元気でいてくれる・・・あれ?私、行こうと思えば、行けるのかも??

そう思ってから、とんとんと事が運んでいきました。

まずは語学留学から、と思って、留学のパンフレットを取り寄せたり、ネットで調べたりして、イギリスへ半年の語学留学を決めたのです。

f:id:AmaHana:20180823103511j:plain

さらに進んでいくために

イギリスでの留学体験はすばらしいものでした。

美しい街、師と呼びたいすばらしい先生たち、各国から集まってきた生徒たちとの友情・・・しかし、肝心の英会話力は、ゼロとは言わないものの、なかなか上がりません。母国語禁止の学校で、留学生たちとの交流も英語しか使わなかったのですが、大人になってからの語学の勉強はキビシイな・・・と、これは言い訳ですね・・・ともかく、英語を話せるようになるには、そこに暮らすことが必要かも、と思うようになります。

とはいえ、イギリスは学ぶには素晴らしいところでしたが、そこで暮らすとなると、ビザの問題を始め、難しいものがありました。移民が増えすぎて、シャットアウトする方向になっていたのです。

そこで、今度は、ニュージーランドに行くことに決めました。カナダでさえ、中国人をシャットアウトし始めていたので、アジア人が比較的暮らしやすいとなると、ニュージーランドがいいと思ったのです。

断捨離して渡航、そして帰国

そこで、日本の荷物を断捨離することになります。日本へはもう戻らないつもりでした。

amahana.hatenablog.com

ニュージーランドでは、当初、学生ビザで入りました。専門学校に通い、ビザ枠内の時間バイトをして、卒業後はワークビザをとりました。

しかし、ここにきて、ニュージーランドも移民をシャットアウトし始めました。

移民局のポリシーが変更になり、移民は断捨離されていくのです・・

ちょうど、今のオットと出会い、付き合って、一緒に住む話も出ていたときでした。彼は日本人です。移民法が変わったとき、彼は日本に帰りたいと言い出しました。そういう彼自身は、永住権は取っていたので、住もうと思えばそのまま住めたのですが、10年もの間暮らしていたので、日本が恋しくなっていたようです。

私自身は、このままいても永住権は取れそうになく、海外生活に疲れてもいたので、それもいいかな、、と思うようになりました。

そんなわけで、3年住んだニュージーランドを引き上げて、日本へ戻りました。50歳になった私は、日本で、またイチからのスタートです。それでも、あのとき物も人生も断捨離したことは、自分にプラスになっていると思います。

何より、楽しかったです!ネイティブなみの英語力はつきませんでしたが、日本の良さをしみじみ感じる今日この頃です。

最後までお付き合い頂いて有難うございました!

これをお読み頂いたあなたに今日も良いことがありますように☆